ひげおやじのひとりごと

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長々お付き合い頂きまして、ありがとうございます。

前にも書きましたが、親父の葬儀をした所は、家から2番目に近い葬祭場でしたので、高速道路を使って西風館という新しい火葬場に行ったのですが、お袋の時もやはり同じ火葬場でした。
親父の時は私も初めての喪主でしたので、すべてが初めて尽くしでしたがお袋の時は、段取りがすべて経験済みで、わかってましたので、落ち着いていました。

霊柩車で火葬場に着き、先頭に専用の台車に乗せた棺、それを押す女性スタッフ、喪主と続いて火葬炉に向かうのですが、親父の時も付いて来て下さった葬儀屋さんが「お父様の時と同じ火葬炉です」って言われたので、配慮してもらったのかなと思い「ありがとうございます」って言ったら、「私は何もしてませんよ」って・・・
あまりの驚きに前を歩く女性スタッフにぶつかってしましましたよ・・・
沢山の火葬炉がある中、全くの偶然で、同じ5号炉に!!親族控室も一緒、収骨のお世話してくれた方も一緒・・・・
どこまで同じにしたいんだと・・・・・・

考えてみると、昭和40年、広島市中区吉島に【理容シルバー】という小さなお店を開店し、以来半世紀・・・
昼は一緒に働き、夜は一緒に眠り、三度の食事を一緒にとり・・・
24時間ほぼ一緒の生活を50年以上!!
親子でも兄弟でも、こんなに一緒に過ごす事、なかなか無いでしょう!!

夫婦って言っても元は他人ですから、子供でも分からない位の絆があるのかと・・・
些細な事で、よくケンカしてましたが、やっぱり仲が良かったんですね。

4日違いで亡くなりましたから、当然のように四十九日の法要も一緒の日で、納骨も一緒。
今後、回忌法要の度に一緒に思い出されるって事は、永遠に一緒ですわな・・・

まだまだ書き足りないことも有る様な気がしますが、とりあえずというか、この辺で。。。

おとうちゃん、おかあちゃん、ホントにありがとう。二人の子供で良かった!
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# by barbershop-silver | 2016-07-09 14:55 | 両親に感謝 | Comments(0)
親父の葬儀の時には、何年振りっていう甥や姪(私の従兄妹)も来てくれ、葬儀屋さんが、なかなか御親族集まる機会も無いでしょうからって親父の祭壇の前で記念撮影をしました。
親父の遺影を抱えて座る母の写真が、まさか最後の写真になるとは、この時は夢にも思いませんでしたが・・・
また、近所の方やお世話になってる方々に挨拶をすることが出来て、お袋も本当に心残りなく逝ったと思います。

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お袋の葬儀の時、棺の蓋を閉めてくれた方も親父の時と一緒。
司会をしてくれた女性も一緒の方でした。

葬儀の最後に棺の蓋を閉めるとき、担当してくれた方が「これより霊柩車で火葬場へと向かいますが・・・・・」と言いながら涙声になってて、「ごめんなさい」って謝られるもんだから、私は何とも思いませんでしたので「どうして?」って聞くと「葬儀屋が一番やっちゃあいけないのは泣くことなんです」と
確かに遺族がいくら泣いても、葬儀屋さんが泣いたんじゃあ式が進まないわなと・・・
まあ、2~3日前に挨拶した人が棺に横たわってるんだから、無理もないですよねと・・・
後で、会社に帰ると、あいつは号泣したらしいと噂になってたそうです・・・(笑)

棺を霊柩車に乗せるとき、司会の女性が走って来れれて「喪主さん、私、喪主さんと同い年なんですよ」と言われたので、「そうなんですか」って顔を見たら目に涙をいっぱいに溜めて真っ赤に腫らしてるじゃあないですか!!
「私の母もヨウコ(母と同じ名前)って言うんです、何かの御縁を感じましてね」って言われました。
あぁ・・・淡々とお仕事で司会をして頂いていると思ってた方が、実は涙をこらえて、頑張って務めて下さっていたんだと思うと、こちらがもらい泣きしてしまいました・・・

関わって下さった全ての方に一生忘れられない思い出になったと・・・

長い人生で4日間って言うのは、一瞬の様なものなんで、両親を一人ずつ送らにゃあならん所を一篇に送ったようなもので・・・
親父の亡くなった悲しみは、お袋が全部持って行ってしまったんで、悲しみが2倍になるかと思ったら、ひとつになったと・・・
こんなことに慣れてるっていうのも変な話ですが、勝手知ったる親族控室ですし、何時までに何をしなきゃいかんというのも全部経験済み・・・
喪主としての気苦労も半分にしてくれたのかなと・・・

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最大の特徴、撫肩が普通に・・・

そういえば、親父の遺影は、合成して葬儀屋さんに作ってもらった話は書きましたが、その写真を見るたびにお袋は「お父ちゃんはこんな上着は持ってなかったと思うんじゃけどね~」と。
私が「首から下は別人なんよ!合成写真なんよ!」というと、その時は納得するんですが、5分すると「お父ちゃんはこんな上着は持ってなかったと思うんじゃけどね~」と・・・
少し認知症がありましたので、何度も何度も同じ会話をしました。
なので、お袋の遺影は、そのまま使ってくださいとお願いしました。向こうで、この服持ってないってお袋に尋ねられても、説明できる人はいませんからね・・・

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実は、親父の遺影を作ってもらう時、すぐ手の届くところにあった写真でお願いしたんですが、その時お袋に冗談で「お母ちゃんの遺影もこれでええじゃん」って言っていたんですよ。
お袋は「そうじゃね」って・・・
親父の最近の写真は、探さなきゃないけど、お袋の写真は結構あったので、そんな会話がなければ迷っていただろうと思います。
・・・なぜか、最後まで額が見つかりませんでしたので、後から買ったんですが、これを使えという事かと・・・

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お袋の認知症が出てきたのは2年ほど前、お客様に迷惑を掛けたらイカンと思い少しずつ店に出ないように私がコントロールしてきたつもりでいましたが、こうなってみると、私一人でもお店が出来るようにしてくれてたように感じます。
現役バリバリの時、急に亡くなったら、次の日からお店は大変だったでしょうからね。

ホントにありがたい両親です。
考えれば考えるほど後のことが困らないようになっています。

ウチの店はバス通り沿いですので、パトカーやら消防車やらしょっちゅう通るんですが、二人が亡くなってから初めて救急車のサイレンを聞いた時、あぁ、こんな気持ちでサイレンの音を聞くのは、どれくらい振りかと・・・
というのも、この1年で両親とも2回ずつくらい救急車で運ばれてますから、サイレンを聞くと暫らくは病院から電話がかかって来るんじゃないかと心配で・・・


そんな中、両親の葬儀が全部終わって、マンションの片づけをしてる時、一つだけホントに困った事がありました。
ベランダのエアコンの室外機の上に、カニシャボテンの鉢が2つありまして、あぁ、どうすれば良いんだと・・・

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この冬、満開になってる鉢を親父が一つお店に持って来て、お袋が言うには「花が咲くまで水をやっちゃあいけん」とか「花が咲いたら水をやっちゃあいけん」とか何とか。

お袋は花が好きで、お店にもたくさんの鉢植えを置いていたんですが、私が全然わからないもので、お袋が店に出なくなった時も「手伝わんでええけぇ、花の世話だけしに店に出てきてよ!」
って言ってたほどでしたので、思い残したことがあるとすれば、この鉢植えの事かなと・・・

相談できる人が居なくなってしまったな~って思った時、あ~~~~っって!!

そういえば、お袋の葬儀の時、式場の入口に遺影に使った写真をトリミングしてもらって額に入れ飾ったんですが、式場に備え付けの造花で飾っても何か物足りないって言うんで、ウチの姉が携帯で電話をして「鉢植えの手頃なのを持って来てぇや」って・・・
誰に電話してるのかと思えば、ウチの隣だって・・・

ウチの店の隣は、ココに引っ越して来た時からのお付き合いの大変お世話になってるガラス・表具店さんが在るんですが、丁度この3月に、そこの娘婿さんが脱サラして花に詳しい友達と共同経営で花屋さんを始められたんです。
ガラス屋の御主人も、「一人娘の婿なんで、どうせあんたらのモノになるんじゃけぇ」って店舗を半分改装して。
そして、この娘婿さん、なんと脱サラするまでいた会社ってのが、偶然にもウチの姉と同じ会社!!
そうなんです、1~2ヶ月前まで一緒に働いてた同僚だったんで、気安く「花持って来て~や~」って・・・

子供さんも小さいのに、脱サラして花屋さんするって、大変だろうにと思ってましたが、こんな偶然ってあります?????
こんなこと言ったら、ホント失礼かもしれませんが、お袋が呼び寄せたかのような偶然!!!

ココに聞けって事か~って、その時の鉢植えの事も含めて、早速聞きに行きました。

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(その後、植え替えたんで、大分大きく育ちましたが・・・)

ホントに花に詳しい方で、何から何まで丁寧に教えてくれました。
環境が大事だからと、店に中まで見に来てくれて・・・

そして、もう一つ、これは家の事が全部片付いたら、手を付けにゃあならんと思ってた畑のことです。
ウチの両親は、高陽に引っ越してきてすぐだから、もう30年位、近所に畑を借りて野菜を作ってました。
お袋も長道が歩けなくなって、数か月前からシニアカーに乗りだしてからも時々、畑を見に行って「根っから土いじりが好きなんよね~」といつも言っていました。
ココの畑は、地主さんに年間数千円で、ずっとお借りしていたのですが、2~3年前、地主の御婆様が亡くなって、その後お袋が地代を払いに行ったらお嫁さんが「お金は良いから作ってください。」って仰ったそうで、それ以来、無料で借りていました。

もし、今でも有償でお借りしていたなら、きちんと現状復帰して、畑を打ち均して返すべきでしょうが、先方から「作って下さい」と言われてますので、そのままお返ししました。
・・・それにしても、鍬やら鋤やら道具の数々、捨てるのも大変やなと思っていましたが・・・

お隣の花屋さんとお話してて、ウチの裏の歩道に、自分の土地でも何でもないんですが、散歩する人も只、草がボーボーになってるよりは花があった方が良いじゃろうと、お袋が花を植えてたんですが、私が全然手入れできないんで、その内ジャングルになってしまうのは目に見えてたんですが、折角なんで、花壇にされたらどうですか?と話しました。
じゃ、そうしましょうと言われて、耕されてたんですが、道具が無いようなので、畑から持ってきましょうと言うと、「助かります、しばらく貸してください」と言われましたが、「いえいえ、もういらないので差し上げます」と・・・

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(今、お袋の植えた紫陽花が綺麗に咲いてます)

困ったなと自分が思うと、すぐ目の前に答えがある。
なんだか、すべてが困らないようになっているというか・・・

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(ブロックを付いてラベンダーなんかを植えられました)

・・・この次辺りで、やっと最後かな?・・・え?まだあるんかい!!(笑)
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# by barbershop-silver | 2016-06-30 12:09 | 両親に感謝 | Comments(0)

不思議なこと

こうやって、両親の事を書いているのは、自分に区切りをつけるためって言うのもありますが、今回の事の後、あまりにも皆さんに伝えたいことがありすぎて、落ち着いたらまとめてみようと最初から考えてました。
自分一人が感動するだけじゃなく、多くの人に凄い両親だったって知ってもらいたくて。(親バカならぬ息子バカでスミマセン・・・)


4月27日、水曜日、朝9時過ぎ、私は仕事をしていましたが、ヘルパーさんから電話がありました。
「ピンポン押したけどお母さんが出られない」って。
前の日に私がピンポン押した時もなかなかでなかったんで、まさか朝風呂でもあるまいしと思いましたが、直ぐに嫁さんに鍵を持って行ってもらいました。
ウチの嫁さんは3月末で会社を退職しまして、ちょうど家にいたんです、そしてマンションのカギも親父が亡くなるまでは両親が一つずつ持っているだけでしたが、一つを私が持って帰ってました。

鍵を開けたけど内側からチェーンが掛けてあるって、嫁さんから電話があって直ぐに大家さんに言うようにと言いました。
(偶然というには、あまりもなタイミングで、前日はじめて親しく話が出来た、あの大家さんです!)
しばらくするとまた嫁さんから電話があって「お義母さんが!お義母さんが!!」て叫び声・・・

お客様をシェービングしている途中でしたが電話の雰囲気を察知され「直ぐに行ってあげんさい!!」と言ってくださったので、お言葉に甘えてというか直ぐに駆けつけました。
4日前、親父が亡くなった同じ寝室で、うつ伏せに倒れているお袋を見たとき、「母ちゃん!がんばれ~っ!!」って言って、心肺蘇生をしました。
親父の時は、駆けつけて眠ったままの姿を見た瞬間、「あぁ、もう戻って来ないな」って言うのが正直な実感でしたが(体が少し冷たくなりかけてましたから・・・)
母は、まだ温かく、その時は何としても助けるぞと思い一所懸命でした。

既に嫁さんが119に連絡してくれてて、救急隊の方も直ぐに来てくれたんですが、蘇生もかなわず・・・
救急隊の方に「ゆっくり呼吸してくださいね」って冷静に言われ、初めて自分が過呼吸になってることに気づき、全身の力が一気に抜けたことを覚えています・・・
その後、直ぐに診療所の先生が来て下さいました。

忙しい先生なのに、随分長い時間おられるなと思ってましたが、よくよく考えると水曜日は診療所の休診日で、お世話になってるケアマネさんは診療所付きですし、当然ケアマネさん経由でヘルパーさんに来ていただいてるわけで、すべてがスムースに連携し警察も来るには来ましたが、アッという間に帰りました。

死因は『急性心筋梗塞』ということで、あっと言う間に逝ったのではないかという事でした。

親父の時に一番しんどかったのは警察の検死でしたから、後から考えると非常に助かりました。
なんせ、内から鍵をかけ、チェーンを掛けてて、大家さんに切ってもらい、発見したのはヘルパーさんと嫁さん。
掛かりつけの先生も直ぐに来てくれたので、事件性も全くないと・・・
(親父の時は夜でしたし連絡しても捉まりませんでしたから・・・)

駆けつけた姉が最初に行ったひとこと「なんで一人にしたんかねぇ」って。
一瞬、ホントに後悔しましたが、もし自分が泊まりでもしてて119してたら・・・
(イビキがうるさいと言われて、泊まる気はなかったですが・・・)
第一発見者は第一容疑者ですから、そういう扱いを受けていただろうと・・・
(実際、時間は少しでしたが警察の対応は酷いもんでしたから・・・)

姉も同じことを考えていたのか、二人で顔を見合わせて「そうか~」って。

親父が逝ったとき、お袋がずっと傍にいても寝たまんま亡くなってる。
あぁ・・・自分の人生に満足し、思い残すことが亡くなったら誰がいようがいまいが逝くときは行くんだと。
そんなことを感じると、お袋が「これで良かったんよ」「こういう風になっとったんよ」と言っているような気がして。
あぁ・・・後悔もさせてくれんなと・・・

お袋が口癖のように言っていたのは「いつ死んでも良い」と。
そういうたびに私は「そりゃぁいつ死んでもええよ。あとの事は自分じゃあ出来んのじゃけえ。行きとるけぇ色々しんどいこともあるんよ。そうじゃなくて、いつまで生きてもええと思うとかんといけんよ、そっちのほうが大事よ。」と、よく言っていました。
そのたびに「いつ死んでもええけど、お父ちゃんより先に逝けんけぇね。」
「お父ちゃんは内臓が丈夫じゃけぇ長生きするよ!あんた、覚悟しときんさいよ!!」って・・・

ホントに言ってた通り・・・・・・・・・・

考えれば考えるほど、そういう風に決まってたんじゃないかと。
タイミングが1日違っても、順番が逆でも、非常に困ったことになってた・・・
姉も言いましたが「子供らに相談せんと、まるで二人で話し合って決めとったみたいな、見事な幕の下ろし方じゃね」って。

葬儀屋さんに連絡するとさすがに絶句でした。

この時あらためて分かったんですが、以前、母は何故か父とは違う葬儀屋さんの互助会に入っていましたが、ちょっと前に内見会みたいなのに行ったとき勧められたらしく、例の金庫にあった書類を見ると、ちょうど1年前、去年の4月に100回払いの97回まで払ってる契約を解約して、父と同じ所に入りなおしているんですよ!

これがもし、違う葬儀屋さんとの契約が満期になっていたら、私もきっと迷っただろうと・・・
母が親父と同じ所にしていてくれたおかげで、迷うことなく同じ葬儀屋さんにお願いすることが出来ました。

式場は親父の時は直ぐ近くの会場が既に他が入ってたので次に近い会館でお願いしたのですが、母の時は両方空いてて、どちらにしましょうかと聞かれましたが、来られる方が迷うので同じ所でとお願いしました。

そして、祭壇から棺から何から、すべて同じにして下さいと・・・
骨壺のカタログも見ませんでした、親父の時、母が自分で気に入ったモノを言っていましたからね!

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そして、更に不思議なことがありました。
親父はマンションに固定電話を引いてませんでしたので携帯電話のみで、ずっと連絡していましたが、親父の葬儀の期間中は私も投げっぱなしで、その携帯を触ることもなかったんですが、母が亡くなって通夜の準備で会場に行くとき、そういえばこの電話でしか連絡付かない親戚とかいるかもしれんなと思い、持って行くことにしました。

式場の親族控え室で、その事をすっかり忘れておりましたが、甥っ子が「おじちゃん、携帯鳴りよるよ」っていうもんですから「え?わし、ここに持っとるよ」って・・・
紙袋がプルプルしてて、「あぁ、親父の携帯や」と。
切れたので番号を見ると、登録もしてなく、名前も出てない。
折り返しかけてみると、年配の女性が出られました、名前を言われたんですが、直ぐには誰かわからず、親戚じゃないしお客様でもないし・・・
ハッと思い出したのが、父が年賀状をやり取りしてる方だと!
と、いうのも両親の年賀状を私がパソコンで管理して毎年、印刷してたから、お名前に心当たりがあったんです。
私が聞いてた話だと、十数年前、親父が病院に入院した時、同じ病室になって意気投合した方がいると、お話ししてみると、やはり、その方の奥様でした。

親父の時も、お袋の時もそうですが、新聞の【お悔み欄】に出したので、それを見て連絡頂いたんだと思いました。
「息子なんですよ」とお伝えすると、「お父さん、いらっしゃいますか?」って・・・

へ?
あぁ・・・お袋の【お悔み蘭】を見られて、親父の事はご存じないんだと・・・
「親父は、5日前、自分のベッドで昼寝したまま亡くなったんですよ。多分、自分が死んだことにも気づいてないじゃないですかね?」
って言ったら、全然驚いた風もなく「あぁ、そうなんですか」と・・・


「実は私の主人も2年前に亡くなりましてね、その時に落ち込んで落ち込んで鬱になってどうしようもない時、お父さんに励ましてもらって、元気になったんですよ。」
「主人とお父さんは偶然同じ病室になって、最初は一人部屋に変わる様にしてたけど、佐田国さんと一緒の方が良いと。二人はモノの見方、考え方もそっくりで、顔は私の兄に少し似ているんですよ。」
「お父さんらしい亡くなり方ですね」って・・・

ウチの親父は人を励ましたり、そんなことをするガラじゃないって思ってましたから、最後に良いエピソードが聞けたな~って、ジーンとしてたんですが

「ところで、お母さんはお元気ですか?」って・・・

へ??ん????
・・・一瞬、どう言おうか考えましたが、正直に言う以外ないので「実は今、お袋の通夜の準備してるところなんですよ。」
「親父が亡くなった寝室で、同じように苦しんだ様子もなく、逝ったんですよ」って言ったら、これまた驚いた風もなく、

「まぁ~うらやましいね~!!なんともオメデタ・・・いや、おめでたくは無いわね。でも、本当に羨ましい!!佐田国さんらしい見事な人生の閉じ方じゃね!!」
とまで言ってくださって、私も気持ちがスーっと軽くなりました。
というのも、お袋の通夜の準備をしながら、親父の時、参って下さった方々が、きっと「掛ける言葉もない」「どう、お悔み言っていいか分からん」と思って来られるだろうから、お迎えするこっちが、逆に気を使うというか、どう迎えていいかわからんと・・・
それまでは、とにかく葬儀が全部終わるまでは気を確かに持って、何があろうと自分がしっかりせにゃならん!と思うので精一杯でしたから・・・

亡くなって、羨ましいと言われる人生は、なんと幸せか。
しかも、両親揃って・・・

考え方も、モノの見方もそっくりな方に、心からそう言って頂き、ホントに救われる思いがしました。
望んでも叶わない見事な幕引き、人生の終わり方は、なかなか自分では選べませんが、確かに自分も選べるなら親父やお袋の様に最期を迎えたいものだと・・・

・・・と、ふと不思議に思い、「ところで、今日、なんで、お電話下さったんですか?」ってお聞きしたら、「ずっと前から電話せにゃあイケんいけんと思いながら、なかなか出来ずに、今、やっと電話で来たんですよ、お父さんが出られたら、なんて言おうかドキドキしながら電話したんですよ」って言われて、流石に膝から崩れ落ちました・・・
「すみません、それはきっと親父が電話させたんだと思いますよ。息子が心配なんでしょう」って。

ずっと投げっぱなしだった親父の携帯、ここに持って来てなければ、知らない番号からの着信、後から折り返してたかどうか・・・
日にちも、時間も、少しでもずれていたら、救われた思いなんかしなかったでしょう。

それから、親父の携帯を解約するまでの約1ヶ月間、その電話は1回も鳴らなかったんですよ・・・


もう少しだけ、お付き合いくださいね。
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# by barbershop-silver | 2016-06-27 21:22 | 両親に感謝 | Comments(0)

就活ヘアーセミナー

本日は、広島県理容組合青年部主催の『就活ヘアーセミナー』でした。
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青年部長の加藤君をはじめ、青年部の皆様、有意義なセミナー、ありがとうございました!
奈良よりはるばるお越しいただいた大月先生、お世話になりました。
ご参集の皆々様、お疲れ様でした!
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# by barbershop-silver | 2016-06-27 21:07 | 理容関係 | Comments(0)

親父の葬儀の翌日

親父の葬儀が4月25日、月曜日になったものですから、親父は死んでも理容師やなと・・・
月曜日に葬儀だったので、同業者の方も沢山参っていただき、私も臨時休業せずに喪主が出来たと・・・
ってことで、翌26日、火曜日は、お店を営業したんです。
親父に「ワシが月曜日に葬儀にしてやったのに、火曜日何で休んどるんや」って怒られるような気がして。

その日は朝9時にヘルパーさんに入ってもらい、入れ替わりでウチの息子が様子を見に行ってくれました。
「おばあちゃんはワラビが好きなんじゃろうけど、ワラビは無いけぇワラビ餅買ってきた」っていうと「まぁ~あんたぁ~やさしいね~」って言ってくれたそうです。
昼前に、姉が行ってくれ息子とバトンタッチ、母は週に一回くらいの割合で診療所に点滴受けに行ってたのですが、この日は姉が連れて行ったそうです。
夕方、近所の仲の良い奥さんが、お父さんにってお菓子を持ってきてくれて、夜、私が仕事を終わって8時半過ぎに行きました。
呼び鈴押してもなかなか出てこないので、どうしたんかなと思ってたら、「どちらさまですか~?」って母の声、「あなたの息子さんですよ~」って言って
ドアを開けてもらったら全裸の母!!「かあちゃんどしたん!」って言ったら、「ゴメンゴメン、今風呂入ったところなんよ」って・・・
まぁ・・・よ~く知ってはいましたが、ホントに開けっ広げでアッケラカンとした母らしい姿。
「ゆっくり風呂入りんさい」って言って、部屋の中で写真の額を探しました。
というのも、葬儀屋さんとの打ち合わせで、遺影をどうしましょうかって言われた時、すぐに思いついたのがずっと居間に飾ってあった写真でした。
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6年前の春、近くの公園を両親が散歩していた時、ちょうどカメラが趣味のお客様に出合って、撮ってもらった写真だという事で、両親がとても気に入っていた思い出の一枚でした。
「お母ちゃん、父ちゃんの遺影はこれでええね」っていって、顔だけを使って、ジャケット着た様に合成して作ってもらったんですが、その写真を入れていた額が見当たらない・・・
母に聞くも「知らんよ」と、姉が聞いた時には「壊れたけぇ捨てた」と言ったそうですが、捨てた形跡もない・・・
そうこうしてると、母がサッパリした顔で風呂から上がってきました。
「診療所に行ったって姉ちゃんに聞いたんで心配しよったけど、元気そうじゃね」っていうと「点滴受けたら元気になったんよ」って、確かにいつも通りというか、すごく元気な様子に安心しました。

結局、額は見つからず、「また、良い額を買ってくるけぇ」ということにしました。
「明日はデイサービス行くんじゃろ」って聞くと(週2回、水曜と金曜に行ってました)「行くと先に主人を亡くしたっていう人がいるんで話が合うと思うんよ」って言うもんだから
「そりゃーええね、一人で家に居っても話し相手が居らんようになったんじゃけ、行けば寂しくないじゃん」っていう会話をしました。
「それじゃぁ明日、又9時にヘルパーさんが来るけぇね」「おやすみ」って言ってマンションを後にしました。

マンションの裏側に停めた車に戻り、姉に電話してると大家さんがゴミステーションの片づけに出てこられました。
姉に「直ぐ掛けなおすけぇ」って電話をいったん切って、大家さんに挨拶をしました。
実は、ちゃんと話をしたのはこの時が初めてだったんです、父の葬儀にお参りいただいたお礼と母がまだ暫らくはお世話になるんで宜しくお願いしますと。

暫らくというのは、両親が元気な時は、二人でどこまで暮らせるんだろうかと思っていましたが、母だけになって、一人で措いておけんなと・・・
ただ、認知症に一番イケんのは環境の急激な変化だっていうんで、暫らくは代わる代わる顔を出しながら一人暮らしをしてもらうしかないなと・・・

まだつづきます。
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# by barbershop-silver | 2016-06-23 19:49 | 両親に感謝 | Comments(0)

山が海が・・・俺を呼んでいる?のか?!


by ひげおやじ